団地日記

築50年越えの団地暮らし ✳︎✳︎✳︎のんびり老後の準備始めました✳︎✳︎✳︎ 

不思善 不思悪 (ふしぜん ふしあく)

禅宗の言葉「不思善 不思悪」
よいこともおもわず、わるいこともおもわずという意味だそう。
この世に絶対的な善悪はないのだから、
善悪の判断をせず、物事をありのままに見なさい


善悪の判断をしているつもりがなくても、
自分が大人になるまでに過ごした環境や経験から
考え方の癖がついてしまって、
無意識に色眼鏡で物事を見ていることがあります。


絶対的な正しさなどないのに、
自分サイドの考えに固執して、
そのせいで苦しんだり、他人に苛立ちや怒りを感じてしまう。


そんな時は大抵「私が正しいはず」という動機が先行していて、
相手の状況を思いやる事なく、行動していることが多いのです。


「正論過ぎて痛い」「言っていることはわかるけど腹が立つ」
そんな風に反論される時は、
自分の主張に酔っていて、物事を客観視できていないのだと
年を重ねるにつれて気づきました。
相手を論破できたとしても、関係性は悪化し、
思い描く結果は得られず、ただただ疲労。


自分を尊重して欲しいなら、相手も尊重して欲しいはず。
他人を許すことは自分を許すことにもつながる。


善悪という大義名分に縛られず、
事実と考えを分けてみれば、もっと楽に生きられるのでしょう。
「ありのままに」と先人が説いているんだし。


自分はどうしたいのかと
他人がどうしたいのかは違うのだから
お互い歩み寄らないとね。


それでも先が見えないなら・・・。
正解のない問題に、思い悩むのはやめておこう。


ケセラセラ。
唱えると少し心が軽くなります。

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