団地日記

築50年越えの団地暮らし ✳︎✳︎✳︎のんびり老後の準備始めました✳︎✳︎✳︎ 

初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな

茨木のり子さんの詩を時々読みたくなります。
国語の教科書に掲載されていた
「自分の感受性くらい」が好き。


今でも苛立ち、気難しくなっている自分には
こう呟いています。


自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」


50代おひとり様、誰も自分を守ってくれません。
都合のいいヒーローなんて現れません。
自分ことは自分でケリをつける。
無理なら助けを求める声をあげなくちゃ
誰も気づいてくれないことを知ってます。


この状況を招いたのは
親や家族のせい?
友人や仕事仲間のせい?
時代のせい?
ただ運が悪かっただけ?


何かのせいにするのは簡単だけど、
そう考えているうちは立ち上がれない。
自分をコントロールすることも難しい。


なにもかも下手だったのはわたくし


分かっているけど認めたくないだけ。
でも自分がまずかったならやり直せる。
次はもっとうまくできるはず。
今の自分は失敗を知っているから。
これは立ち上がるための詩。


久しぶりに読んでみたくなったので、
図書館で本を借りました。


おんなのことば 茨木のり子↓


久しぶりに読むと懐かし&新鮮です。
心に届く詩は、今の自分を映すもの。
次に読む時はまた別の詩が心に残るから
何度も読みたくなるのかもしれません。


「一人は賑やか」


抜粋
一人でいるのは賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない



一人でいる時淋しいやつが
二人寄ったら、なお淋しい



おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと 堕落だな




「汲む」


抜粋
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです




前に言われたことがあるんですよ。
助けてと言うことは
相手に活躍してもらうということなんだと。
活躍の場を奪わないで、うーんと喜び感謝して
また助けてねと言えばいい
人の役に立った時って嬉しいじゃないって。
気持ちが少し軽くなりました。


月日は流れ、多少は強く(図太く)なったけど
相変わらずのダメさ加減で、助けられることも多い日々。


自分の弱さばかりが目につくけど、
相手のしてくれたことの方に注目し
感謝の気持ちはしっかり伝えていかねば。


できないことがあるって当たり前。
弱くてもダメでもまぁ仕方ない、自分だもの。
ただ感謝の気持ちを忘れてはいけない。
感謝を素直に伝えるって、難しいね〜。
伝えられなかった感謝がいっぱいあったよ。

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